Profile




たくちーです。金融機関に3年間務めた後、フリーランスでWEBサイト制作、アフィリエイトをしています。

屋号:Captain Dag

理念:「自分の意思で行動できるならば人生に無駄な時間は一秒もない。」

以下、詳しいプロフィールです。

たくちーの生い立ち

たくちー(伊藤 拓磨 いとう たくま) 1991年5月5日生。

・出身地 東京都八王子市

・出身高校 都立八王子東高校卒

・出身大学 法政大学法学部法律学科卒

・卒業後 大手金融機関で3年間法人営業

・現在 フリーランスのWEBサイト制作、アフィリエイトをしている。

・趣味 キャプテン翼、漫画、ゲーム、面白いこと考えること。

以下、過去の振り返りです。

走り回っていたことしか覚えていない幼稚園時代

 

見出しの通り、走り回っていたことしか覚えていない幼稚園時代。

明るい子供でした。
知らない人に元気に挨拶していたと母親からは聞いています。

友達は多く、誰とでも馴染めていた記憶があります。

野球に目覚めた小学生時代!運動が大好きになった!

父親の影響で小学校3年生に野球を始めることになりました。

それまで運動音痴でしたが、野球を始めてあらゆるスポーツの技術が向上しました。

 

小学生時代は野球漬け。八王子市NO.1チームに所属するも補欠でした。

たくさん練習したので悔しかった思い出です。

小学校6年生の最後のほうでは、レギュラーメンバーに引けを取らない実力はついていたのに監督に見向きもされず。あれ?

監督に絶対嫌われてたわ。知ってたよ笑

勉強がイマイチだった小学生時代。

 

 

公文式をしていたので計算と漢字は得意でした。

しかし、小学校3年生で転機は訪れました。

三角形のテストで30点を取ってしまい母親激怒。

そして、図形のドリルを買ってもらい勉強させられますが、投げ出していました。

小学校3年生のたくちー
だー!図形は無理だ!

あの時はつらかったですね。自分が勉強できないだなんて思いませんでしたから。

そして通知表はがんばろう。

よくできた

できた

がんばろう   の3段階の最下層。

図形は苦手すぎて最後まで通知表はがんばろうでした。

しかし、家に届いた進研ゼミの漫画が…自分を変えることになります。



単純だった中学生時代。おかげでパーフェクトヒューマンだった!

なぜ進研ゼミの漫画が恐怖だったかというと、中学に内申点というものがあることをその漫画で知ったからです。

当時、親戚中から都立八王子東高校→東京大学のルートを期待されていたためかなりのプレッシャーでした。

1日最低5時間、テスト前は7時間と勉強してました。図形の授業では置いてけぼりを食らった記憶もあります。

でもその分、家で必死に勉強し定期テストでも満点近い点数を常に取り続けました。

そして野球部では1年生の時からピッチャーとしてマウンドに上がっていました。

チームは強くなく、僕もピッチャー1人でノーヒットノーランできる…という実力とは程遠く…負けばかり。

部活の他に、投げ込みや素振り500本もしてたので悔しかったなあ。

中学生時代が文武両道を出来ていた唯一の時代です。

そして、更に必死に勉強し都立八王子東高校に合格しました。

中学3年生の最後の半年は1日18時間勉強していました。

しかし、高校受験で完全に燃え尽きていました。

そこから僕の人生はぶっ壊れて行きます。

燃え尽き症候群発動。ダメダメな高校時代

 

高校時代は、受験勉強で燃え尽きていました。

授業中も寝て家でも寝ての繰り返していました。

折角いい高校に入ったのに勿体ない…と親や親せきから呆れられていました。

今まであった集中力、情熱、広い視野等の大切なものは残っていない状態でした。

高校で一番最初に受けた模試が…学年で下から2番目。

勉強は出来る方だったので思わず目を疑いました。

気付いたら高校内ではただのバカ扱い。バカのたくちー。当時の精神力ではネタにできず悔しい思い。

でも、休みたい欲に勝てず…たいして勉強はしてませんでした。

そのまま時は過ぎていき…勉強もロクにせずあっという間に大学の受験期に。

良い大学といわれる大学に行けたらなあとは思っていました。

理系科目をほったらかしにし、英語・国語・日本史ばかりに注力し、現役で早稲田大学合格を目指す→失敗。

浪人の時は目標を上げればモチベーションアップにつながる…と思い一橋大学に目標を上げ、勉強。

 

高校受験の燃え尽き症候群を引きずっていたので、大学受験には高校受験ほどの熱量を注げませんでした。そして受験失敗。行くことになったのは法政大学。

燃え尽き症候群は本当に痛い。今まであった集中力、情熱、視野の広さ…すべてを奪う悪魔でした。

非常に悔しい思いをしました。

高校時代を無駄に過ごしロクに勉強もせず…学力も気付けば周りに追いつき抜かされ…そのあと追い抜くことが出来なかった結果です。

ウサギと亀の、ウサギと自分を思わず照らし合わせざるを得ませんでしたね。

そして、そのころ元気だった母親が体調を崩し入院。悪性リンパ腫で末期がんでした。

両親ともに子供である僕にがんであることを暫く隠され、打ち明けられた時は大泣きしました。

19年生きた中で一番泣きました。燃え尽き症候群でいろんなものが死んだと思っていましたが、感情は死んでませんでしたね。

何となく過ごしてしまった大学生時代

母親は奇跡的に回復。しかし、その後入退院を繰り返し心配ばかりでした。

そして、大学生活。

大学生は人生の夏休みとよく聞いていました。

社会人の先輩も今のうちしか遊べないと言ってきました。

そんな中、燃え尽き症候群を引きずっていた僕は休むことばかり考えていました。

大学では水上スキーのサークル活動を楽しく…と思っていたのですが、お金がかかる・上下関係が厳しいといったストレスに悩まされ大学2年生の春には退部していました。

その後は、自転車にハマり八王子→羽田空港まで自転車で行ったり…AKB48にハマり握手会デビューし、横山由依ちゃんに覚えてもらったり…ゲームにひたすらハマりまくったり…お酒を飲みまくったり…

何となく過ごしてしまったので、記憶は薄れてしまっていますが充実はしていましたね。

そして、アルバイトは塾で講師をしていました。その頃から、子どもたちには慕われ…人に教えることは向いていると感じていました。

 

そしで、就職活動…そつなく大手に…と思えるかもしれないが長引きました。

アピールポイント?志望動機??

当時の僕からしたらクエスチョンマークしか湧かない言葉でした。

服が好きだったのでアパレル業界を目指すも、全部一次面接でさようなら。

なので、方向転換し化学業界を目指すことに。3月末、5月末、にそれぞれ準大手化学メーカーの最終面接まで行くも…落ちました。

そこから就職活動は長引き…夏まで続き、ようやく大手金融機関に内定を頂けました。夏採用枠があり、何となく受けてみたら内定がもらえたという形です。

今までの苦労は何だったのでしょうか。笑



地獄の社会人3年間。まさかも起こってしまう

 

 

 

気づいたら社会人として働くようになっていました

大手金融機関で法人営業でした。

とにかく新規のテレアポ飛び込みの繰り返しで消耗していました。

上司や本社に命令されるのが本当に嫌でした。強制の飲み会もたくさんあり、1年目からもう合わないな…と感じていました。

毎日疲れと戦い、時に涙を流しながらと過ごしていたところ…母親が亡くなってしまいました。

原因は、がんの再発を防ぐために行った骨髄移植の副作用でした。閉塞性細気管支炎という治療法が確立されていない病気です。

定年→第二の人生とよく言いますが、その時僕の第一の人生は終わったと思いました。悲しすぎて、今でも受け入れられていないのが現状です。時々夢にも出てきます。

その後、会社を辞めるためにどうしたらよいのか考え動いていました。

独立するにはどうすれば…そう思い本を読んだり、会社での仕事を前より一生懸命に取り組んでみましたが何も得るものもなかったです。

そんな中、情報収集を再開するとフリーランスという働き方とアフィリエイトに出会いました。ここまで長かったですね。1年半かかりました。

たくちーの第二の人生スタート

社会人3年目の初めから、働きながら副業としてアフィリエイトや情報発信を始めました。

今はWEBサイト制作、アフィリエイトをしています。

1年後は何をしているか全く想像つかない…会社にいたら味わえなかった感覚です。

今後は、情報発信・WEB制作などパラレルキャリアで生きていきます。

そんなわけで、応援していただけると幸いです。

宜しくお願いします。

 

Captain Dag 代表 伊藤 拓磨